独立しました!繁忙期を過ごさなくてもよいという気づき。

独立しました!

ご報告が遅くなりましたが、
この度独立開業いたしました!

退職=独立

ということですが、年末に退職した私の場合は、
すぐに年末年始休暇に入ったことで、
それほどすぐに独立したと実感できる生活にならずに今に至ります。

退職したという事実さえ、いまいちピンとこない状況でした。
ただの年末年始休暇かなというふうに。
これまで年末年始をそのように過ごしてきましたので。

ただ、この冬休みはだいぶほっとした気持ちで過ごしました。
これまでは、年末年始に、年明けからの繁忙期を思うと、
気持ちが緊張していて戦闘態勢でいたように思います。

これまでの年末年始の気持ち

実のところ確定申告期を迎える気持ちはそれほど憂鬱ではなく、
年々ますますうまくお仕事をこなすことができるようになるだろうし、そうしようと
色々と考えていました。毎年前年よりもうまくいく確信があることで、楽しみでもありました。所得税の確定申告業務が好きだということもひとつの理由です。

一方で、毎年レベルアップ(?)できるとしてもワークライフバランスがとれるのは
いつのことだろうか、子供たちの成長はまったないのにこれでよいのか、
家庭を健全に回しているといえるのか、という葛藤はとても大きかったです。

それでも、やりようはまだあるのではないか、ということを日々考えていたので、
今年も繁忙期かかってこい!今回こそ克服してみせる!
みたいな気持ちも少なからずありました。

独立後の気持ち

そんな毎年を過ごしてきましたが、
今年は、そういった、客観的には痛々しく映るような頑張りしなくてもよくなりました。
そしてようやく、もし繁忙期をまた迎えていたら、無理だったよね、
と自分を俯瞰して見られるようになったのです。
(無理というのは、仕事をこなすことができない、ということではなく、
立ち止まって考えることができず、自分の人生で大切にすべきことに向き合うことができなかっただろう、ということです。)

辞めていなかったら、「次に繁忙期を迎えると、あれもこれも無理になるだろう」
という視点を持つことができなかったと思います。

これが独立して一番始めに感じた「独立したからわかること」でした。

そして、「あれほどの激務な繁忙期を過ごさなくてもよいんだ」、「許されるんだ」
「そういう(繁忙期がない)人生を過ごす選択肢もあるんだ」、
という気づきを得たのです。

勤め続けていると気づかない理由のひとつは、
雇われ人(全員ではありませんし、もしかしたら一部の会社だけかもしれませんが)は、
繁忙期を過ごすことが存在意義になっているからだと思います。

従業員として、多くのお仕事をこなすことが求められます。
「繁忙期を過ごさない」などと考えれば、そこ(会社)に居場所を見いだせなくなりますから、そのような発想が湧きにくくなるのでしょう。

「繁忙期を過ごさなくてもよいという選択肢」に気づいた時点で、
本当に次の繁忙期をやめてよかったなと思いました。
まだ何も軌道にのっておらず目処がたっているわけでもありませんが、
それでもそう思えるほどの、(私にとっては)大きな気付きでした。

金銭的なことに対する不安を横において独立してみましょうと、
今は自信を持ってお伝えすることができます。

 

追伸
たしかに繁忙期と戦わなくなったといっても、他の何かと奮闘しないといけません。
戦う相手が変わりましたが、戦う相手は変えられます。

 

【日記】
お客様対応、ウェブサイト作成。考えをまとめるには時間がかかるものです。
潜在意識に投げかけておいた問いを顕在意識にぽつぽつを上がってくるのを待つような時間でしょうか。AIに投げかけてから回答を得るまでの時間と似てるような気もします。

次女は保育園休みを希望。毎日何とか連れていきます。
英語にはまっていて、アルファベットを見るとエービーチーデー♪と最後まで。
〇〇は英語で何ていうの?と聞いてきます。
いくつか答えると法則をみつけたようで、語尾に「チーズ」とつけばなんとなく
英語っぽいと思ったようです。
「おちゃおかわりのむチィージュ」と意味不明な文章を楽しんでいます。
長女は新しい筆箱を携えて学童にも。私の帰宅を喜んでくれます。

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