ずっと続く道の始まり。限界前。
昨日、暑いなか長時間歩いたことで、新しい能力が開花した感じがしました。
本来あるものが掘り起こされたような感じです。
危険に身を置くことはおすすめできませんが、
もう無理かな、という状況に身をおいてみると気づくこともあります。
極限
昨日ウルトラウォーキングに参加して、限界を感じました。
ウルトラウォーキングは、長距離を歩くものですが、制限時間もあり、ペースもゆっくりではありません。早足です。そういうこともあり、ただ歩くといってもずぅっと歩いていると色々としんどくなります。脚が痛い、暑い、気持ちの面でも。
(昨日は晴天で日陰の少ないコース。)
もう無理だろうと。ピンチを感じる場面がありました。
ペースを保つ VS もういいからゆっくり歩こう
という自分との戦いでのピンチもありましたし、
もう歩き続けられないかもしれないと急に気持ちが落ちる場面もありました。
気落ちと身体がリンクして、脚が動かない場面も。
でも、歩くしかないのです。ここで止まっても余計にしんどくなりそうでした。
念のためにお伝えすると、ウルトラウォーキングの最初の30キロくらいまでの道中は、まだ人がまばらにでもいるので、一人ぼっちになることはありませんので、そういう意味では安心です。(道を間違えてしまう、とか、連絡とることができなくなるとかね。)
とはいえ、ピンチはピンチ。
そんなピンチを迎えて覚醒したなと思ったことがあります。
色んなものを削ぎ落とす
道中、ひそかにペースメーカーとさせていただいた方々がいました。
追い越すこともあったりしつつも、だいたい同じペースで歩いている方です。
その方々を追っている内は、一定の速度で進んでいるという手応えがありました。
しかし、ついていくのが辛いタイミングがあり(いいペースの時と、ちょっときつい時とあります。)、その時にどうしようと思って。ついていくにはどうすれば・・・!と考えたのです。
そして、色々な思考を削ぎ落とそうとしました。無になるというか。
目を閉じて(閉じきるわけにはいきませんが)、ただ脚だけ動かしているような状況を目指しました。
雑念を排除することで、一番必要なところに力を集中します。
雑念とは、
些細なことでいうと、汗が流れても気にしないとか、日焼けを気にしないとか、服の擦れる音が気になるとか、そういうことで、
もっといえば、このまま離されるのかな、という不安を考えないようにしたり、スマートウォッチでペースデータを確認して動揺する気持ちをなくすとかということです。
なりふりかまわず気にしない。今目の前の目標のために、という気持ちで。
きっと表情も無だったでしょう。けれど無になる作戦は、間違いなく力を発揮しました。
これまで、「必要のない」雑念で消耗していたんだろうな〜、まだ力残っていたやん!と思いました。
(これも歩くには「雑念」かもしれませんけど。)
緊張感をうまく使おう
そういう経験を経て、緊張感、ピンチ、限界をうまく使えば力を発揮するのではという考えに至ります。
危険という緊張感と生命の覚醒。本能的になんとかしなければという生命力というか。
そこまで限界を常に求める必要はないかもしれませんが、力を発揮したいとくすぶっているならチャレンジしてもよいかもしれません。
そこまでやりたいと強く思えるものがあれば。
そのためなら、いろんなことがどうでもよく思えるような、そんな強い熱をもって取り組めることがあれば、きっと能力は覚醒していくんでしょうね。
限界を超えてたどり着きたいと思える目的地はありますか。
気持ちの赴くままに、できるかどうかわからないものをやってみるのもおすすめです。
「私も、ウルトラウォーキングを歩ききれる自信があるから参加した」ということだったら、いつまでも参加できなかったでしょうし、こういう体験もできなかったでしょう。
なんとなく参加してみたかったという、ちょっとした自分の気持ちに従ってやってみたことが、とっても面白い経験になりましたよ。
「雑念」は、限界を迎えたときだけではなく、何かを始めるときにも排除してよいかもしれませんね。
ときには考えすぎずにやってみましょう。
【日記】
ウルトラウォーキングの翌日。屈伸が辛く、脚も伸ばせず。けれど思ったよりは動けて家事も通常通りに。よくほぐしたのが良かったです。肩の筋肉痛は今日現れて。体温は平常に。
長女は私に最大限のねぎらいとお手伝いをしてくれます。マッサージまで申し出てくれたり。家事もいっぱい手伝ってくれます。次女は、いつも通りに膝の上に乗ってきたり、お世話を焼いてほしいアピールを。今日は勘弁してと伝えるも…。
タンパク質をとったらいいよと夫がお肉を焼いてくれましたが、美味しすぎて子どもたちがほとんど食べました。。
【something new】
照度計