「とてつもなく難しいことにチャレンジしている」と考える

簡単そうで難しい朝活。

とてつもなく難しいことにチャレンジしています。
新しく何かをチャレンジしはじめたということではなく、心の持ちようを変えました。

簡単だろうなと高をくくっていたことについて、心の持ちようを変えて、新たな気持で取り組んでいます。
「難しいことをやっている」と思ったほうがうまくいくかもしれないという説について。

簡単だと思うことの罠

簡単そうで実行できないこと、ありませんか。

〇〇の予約をする、切れそうな調味料を買い足す、充電する、前もって準備をする、
子供を頭ごなしに叱らない、洗濯物をためない、ブログを午前中に書き切る、毎朝5時に起きる、5分トレーニングする、言われる前にやる、締め切りギリギリになる前に取り組む、など。

たしかに、勤めていたときは簡単ではなかったです。難しくて、できなくても仕方がない。
けれど、独立後は、時間の過ごし方の選択肢が増えたました。
出勤していたときよりも簡単でしょ?と思っていたのです。

でも、簡単なようで、できないことが多くて。嫌になっていました。
簡単だと思っているだけに、なんでできないんだろうという挫折感もすごいのです。

会社員から独立して時間が増え、時間の使い方の裁量も増えたのは事実ですが、それだから色んなことを「楽」にできるようになるかといえば、そうとも限らないのです。

時間が増えることと、時間をうまく使えることは直結するわけではなくて。
これまで、人の目を気にしながら働いていた頃ってある意味ラクではあったんでしょう。

今は、人の目がない中で、いかに納得いく過ごし方をできるのか、という意味では、初めての試みであり、難しいことにチャレンジしています。

 

難しいと思うと徹底した準備で挑むことができる

例えば対戦相手を「弱い」と思うから油断するように、「簡単」だと思うから力が入らない。
ノープランで挑むわけです。
いつもどおりにすれば勝てる、できる、大丈夫と、なんとなくできると思っている。

ところが、想定外のこと、ハプニングがあれば、動揺してあっさりまけるのです。
油断大敵とはよく言ったものですね。

逆に、難しいと思っているとチャレンジ精神がわきます。
想定できる困難をあらかじめ予測して、そんな時にはどうするか、という代替案がいくつもあり、失敗しないための工夫を色々考えます。
何なら前日から、数日前から精神的、物質的にも準備を重ねていて、周りからも固めていて。
ぎりぎりのところを勝つために応援団まで準備したり、縁かつぎしたりして。

それで、仮に失敗したとしても、それは難しいことにチャレンジしているわけなので、悔しいけれど、簡単にはいかないと考えられるわけです。
また新しい手立てを考えようと前向きになれるのです。

本当に簡単なことなのか

そういうわけで、
やっていること、目指していることが、本当に簡単なことなのかをもう一度考えてみてもよいのかもしれないです。

日常生活を送ること、毎日出社すること、制約がない自由な時間を過ごすこと。

時間をうまく使うのは、簡単なようで、めちゃくちゃ難しいということに気づいて、今チャレンジしているところです。
できなかったことは、全部難しいこと、挑戦しがいのあること、達成したらすごいことなのです。

目標は字面で表れるよりも、複雑です。それぞれ背景も違います。
例えば、マラソン選手が、マラソンを完走するのと、私のような運動習慣のない人が完走するのとでは、これまでの背景も状況も違うし、同じ目標とはいえないのではないでしょうか。

そういうわけで、自分がやっていることを、「自分にとっては」とんでもない偉業を達成しようとしている、と考えてみてはどうでしょうか。
簡単なものにチャレンジしているよりも、緊張感が湧いてきて「本気モード」のきっかけになるかもしれません。

自分の立ち位置を確認する意味でも。できない自分を認識してから次のステップへ進みましょう。

今なんとなく実現できていないことを、ものすごくチャレンジしがいのある難しい目標だという風に、新たな気持でトライしてみましょう。
ちょっとだめでもいいじゃないでしょうか。難しいのですからね。

【日記】
ウルトラウォーキングから2日。左足と左肩が痛みますが、確実に回復に向かっています。
暑さにも強くなったような。午後はMさんところへ。
長女夕食日。冷蔵庫の残り物で肉野菜炒めを。においから美味しそうで次女が寄り付いていました。おいしい〜!!とテンション高く食べる次女。長女の料理、我が子ながら大したものです。

【something new】
Lightroom Classic
QUAPIX Lite

 

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