力を抜くためには

力を抜くのではなく、力が抜けるようになる

力を抜くことが良いことだといわれることがあります。力を入れて一生懸命取り組むことは悪いはずないのですが、なぜそう言われるのでしょうか。
力の入れどころはそこではない、無駄な力を使わないことで、他のことに力を使ったほうがいいということなのでしょうか。傍からみて、そこまでやらなくても⋯と、過剰に力を使っているように見えるのでしょうね。

物事への入れ込みようが性格によるものだとすれば、調整できるようなものではないので、「力を抜け」といっても難しいと思います。私も自覚は乏しいのですがそのタイプのようです。まさに、「力の入れるところそこじゃない」ということは⋯思い当たるところもあります⋯。

でもちょっと力を抜く方法がわかった気がしました。

力を抜こうとしても力を抜くことはできませんでしたが、色々なやってみるうち、「もっとキャパシティを増やしたい」と思うことで力が抜けるようになりました。

力を抜くことを目指すのではなく、力を抜かないとやりたいことを実現できないから力を抜くことにする。
といった具合です。

貯金で例えると、
お金を貯めるのを目指すのではなく、「〇〇のために〇〇円使いたい」というように、「使い道がありそのために貯める」というのと似ている気がします。

 

どの部分で力を抜くのか

では、どの部分で力を抜くのかというと、
「自分のこだわりを持っているところで、かつ、お客様や相手が望んでいないこと」と考えています。相手がことさら望んでいるわけではない部分は、自分だけのこだわりだからやめてもいいよね、ということです。

自分のこだわりって、相手にはどうでもよいこともありますし、どっちでもよいということもありますよね。そういうところは手の抜きどころかもしれません。

かつて、確定申告書の控えの表紙だけを青い紙で印刷するという慣習がありました。「青色申告」という証として。その後、青紙はなくなり、今となれば、PDFで保管することが増えました。

青色申告かどうかわからないじゃない!というクレームを受けたことはありません。きっと皆さんもそうだと思います。青色申告かどうかは、申告書に記載された「青色申告」という文字で判別することができるので、何色の紙でも大丈夫なんです。

こういうところは、力を抜いてもよいですよね。

まあでも、こういう例はなんだかしっくりこないこともあるので、違う例も考えてみます。
会議のアジェンダを「1から10全部説明する」なども、自分のこだわりだとすれば力の抜いても良さそうです。お相手も望んでいればありですが、そういう例は殆どないでしょう。説明書を隅まで読むことと似ています。

ほかにも、余計な緊張とか、望まれていない気遣いとか、勝手に疲れることとかを、自分が手放すことができるなら力の抜きどころになりますね。
その分、時間や労力や気力が確保できます。

力を抜くことは悪いことなのか

このように、力を抜くことは、一見「手抜き」と言うイメージを与えかねないのですが、たくさんのことを行うには必要なことなのです。たくさんのことを行うためには、力の抜きどころが必要で、リソースを割り振る優先順位を決めることにつながります。

だから、力を抜くことは悪いことではありません。時間も体力も気力も限りがあるものだから。もし手を抜くことができたら、その分できることが増えますね。

力を抜くことが難しいなと思ったら、やることをたくさん詰め込んでみましょう。たくさん詰め込んで下から出ていくイメージで、やらないことや力の抜きどころを探ってみましょう。

 

【日記】
次女眠るのが苦手です。遅くならないと眠らないのは変わらずですね。お昼寝してしまうと夜寝ないというのは他の保護者の方からも聞きます。保育園あるあるですね。今日は23時30分に寝ました。タフ⋯。
長女は思いっきり活動してこてっと眠りますから、小学生になれば眠れるようになるでしょう。あと1年ちょっと⋯。
夜中も起きて私を探します。怖いものをみると眠れないようですね。(見ないで⋯)

大好きな先輩と新年会ランチ、その後訪問、帰宅後研修。消費税奥深く机上では面白い税法です。

【something new】
Bella Dining Cafe

 

 

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