【仕事観】見習いだったからこそ見えたもの

見習い中。じっと観察。

ちょっと、いやかなりしんどそう…、と思うお話を聞いて自分の過去を思い出しました。
どんな道にも、最初は「見習い」の時期があります。私も長い見習い期間がありました。ただ目の前の仕事をこなすだけで精一杯だったあの頃。一つ一つのことにいちいち反応して疲れてしまって傷ついて。とにかくその世界で生き抜くことに必死で、楽ではなかった。
でも今思うのです。あの時期に、自分の視点が形づくられていったのではないかなと。そう思うと大切な時間だったのかもしれないと思いました。

傷つきながらも見ていた世界が、自分の軸につながる

見習いの時期が、一人前ではないということだとすれば、
だからこそ、人の言葉に敏感になり、ちょっとした出来事にも心が動いていたような気がします。
いちいち気にして、いちいち反応して、そしてときには傷ついて。

でも、そうやって感じ取ってきたからこそ気づけたこともあって、今の自分の判断軸につながっています。

「これはなんか変だな」
「なんでこんなやり方なんだろう」
「裏側はこうなってるんだな…」

そんなふうに疑問を持ったり、納得できなかったり。それは未熟さだけではなく、今思うと「感性」だったのだと思います。見習いだったからこそ、素直に疑問に思ったり考えたりすることができた。それは、すごく希少な時間だったんじゃないかなと思います。そして、見習いだからこそ、客観的な視点で物事をみることができたのかもしれません。

端っこにいるからこそ見えるものがある

人には、それぞれの立場があります。下っ端は、いてもいなくてもよいような、一部になっているようないないようなポジションでしょうか。中の立場に入れば入るほど、その場所の「秩序」や「事情」が見えてきて、それに合わせて、自分もその世界に染まっていきます。

でも、見習いのころは、まだその内側にいません。どこにも属していない「端っこ」にいるからこそ、見えたり気づけたことがあります。

「このやり方は、ちょっと非効率なんじゃないか」
「このルール、誰が決めたの?」
「外から見たら、明らかに違和感があるけど」

そうした目線は、一度「中の人」になってしまうと、持ち続けるのが難しくなります。中に入れば、その世界の「常識」が自分の中にも染み込んでしまうから。だからこそ、見習いという少し距離のある立場で、自分の目で見て、感じて、考えておくことがとても大事だったと思うのです。

まだ「何者でもない」時期だからこそ、道を選べた

そして、「見習い」というのは、ある意味「自由」なポジションでもあります。
期待も、責任も、まだ少ない。だからこそ、観察し、思索する余白がある。やり直したり道を選ぶ自由があるから視野を広く持つことができる。

「このままここで働き続けるのか」
「自分はどんな働き方をしたいのか」
「なにを大切にして仕事をしたいのか」

そんな問いに向き合うこともできました。まだ選択肢があるから…。

「このままでいいのかな」って思ったり、「こんなふうに働いていきたいな」っていう想いは見習い期間に芽生えたのかもしれません。それが、見習いという時期にしたいこと、大事にしたい感性かもしれません。

おわりに

見習いの時期は、しんどいことも多いし、成果も見えにくい。でも、あのとき感じた違和感や疑問、悩みや迷いは、のちの自分の糧になっています。

見習い時期だからこそできること、だからこそ見える世界があるのだと思います。

見習いの時期にしか持てない視点を、大切に育てていきましょう。
きっとそれが、これからのあなたの道を支えになるでしょう。

【日記】
最近のお気にいり。長女の毎朝の「いってきます」と夜の「おやすみ」。満面の笑みを向けてくれます。にっこりと。
次女の「1時ね〜」「早お迎えね〜」も好きで。「イヤや〜」と関西弁言えるようになったのもおもしろいなと。これまでは「イヤだ」だったので。
夕飯に自分が選んだ卵焼きを食べて納得している次女、コロッケを分け与える長女。夜は2人で今日のことを話ていて姉妹だなぁとしみじみ。次女が一方てきに長女に話を聞いてもらっているのもおもしろくて。

【something new】
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