配られた札がいまいちだったときの考え方

持ち札で勝負するゲーム

トランプの大富豪は、子供の頃よく楽しんだ遊びです。
お正月には花札をすることもありました。

これらの遊びと、オセロ、将棋、囲碁との違いは配られる札があるということ。
どの札を出すかを決める前から、手元の札により勝負の明暗が分かれることもあります。
配られた札を見て一喜一憂することも多いのではないでしょうか。

お互いに、イーブンな状態から勝負が始まるオセロなどに比べれば、
配られる札の内容で勝敗が分かれやすいものです。

まれにとんでもない(不利な)札が来ることもありますが、思うような札が来なくても、
参加した以上、札が配られた後はゲームを辞めることはできません。(基本的には。)
それを含めてのゲームだということでしょう。

与えられた札で勝負するしかないのです。

配られた札で楽しむ

もし、配られた札が悪くても、ゲームをする時はそれを自然に受け入れています。
いつも良い札が来るとは限らないですし。良い札が来ればラッキーと喜びます。
どんな札が来るか。そういうのも楽しみの一つなのかもしれません。

配られた札をみて、色々と考えます。
・いい札!きっと勝てそう。
・そんなに良い札じゃない、1位は諦めて、2位を目指してみよう。
・札があまりにも不利かも。せめて最下位にならないような作戦でいこう。

もうどうでもいいわ、と投げやりな札を出すことはせずに、
その時の最善の札でやっていると運が回ってくることもあるんです。
札が良くても勝てるとも限らないのも面白いところ。

そのような方針で札を出すのかも楽しめます。

・無謀な大勝を目指さない作戦(確実な勝ちを目指す作戦)
・最下位(大敗)を回避する作戦
・〇位を目指す作戦
・誰かに勝たせる後援作戦
・いい札を持っているかのように振る舞う作戦

札に恵まれなかったときに、大きな勝ちを目指さないのは、
そこに向かうとすぐ負けが決まったり、ドツボにはまることが多いから。大敗する可能性ありです。

その場その場で最善手を出す作戦もありますが、おすすめで、強いな~といつも思うのは、
「手持ちの札でできる一番よい結末を定め、それを目指す作戦」、です。
「そんな札でよく勝ったなぁ」と子供の頃からかなわない思いでした。

この作戦は、親にならいました。(確証はありませんし習得しきったかはわかりませんが(笑))
やみくもに札をだしても何となくの結末にしか到達しないですが、
自分が望む結末にするため、何歩も先まで俯瞰し、「その過程の中の一手」を出すやり方です。

何歩先まで考えることができるかが勝敗を分けますが、先を考えられたら強いです。
先を考えるのは疲れますし大変ですし楽ではないですけれど。
あんまりな札が配られた時には、そういうことにチャレンジして楽しんでいました。

人生への当てはめ

持ち札で生きて行くしかないのでしょうね。上手く受け入れられないこともありますが。
思うようにいかなかった時にどう考えるか。

・「札」を見て受け入れることを拒み嘆き続けるか
・他の人を羨むばかりでいるか
・自暴自棄になり勝負を放棄するか
・持ち札の中で楽しみを見出すか
・手持ちの札でできる一番よい結末を目指すか

究極は、
こんなはずじゃなかったと受け入れるのを避けるのか、
受け入れてできることをやるか、
の2択ではないでしょうか。

ちょっと思うところがあって、こういう記事を書いてみました。
どんな作戦がお好きですか?

 

【日記】
旅行から無事帰還。温泉とプールと森林浴とご馳走を楽しみ、、、ました。
初日の道中、長女は楽しみでうきうき。次女はおうちかえる、と。
旅行中も何度も「おうちにかえる」と。刺激があると疲れるのかもしれません。
そういいながらもプールや「おおきいおふろ」やじゅうたんを楽しんでいます。
「じゅうたん」が気に入ってホテル内で裸足とハイハイで移動・・・。
温泉ではリアクション芸人のような反応で、声も大きく困惑しました。
旅行中テンションがあがったのは、娘たちの浴衣姿。また見たいです。お仕事がんばろう。

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