事務所でひと息。
長女が通う小学校で6年生の卒業式がありました。
全校生が見送るなか…という想像をしていましたが、1〜5年生はお休み!休校です。
聞いてないわ〜と思いましたが、平日お休みは子どもと楽しむチャンスかも?と。
結果的にこの日は自分の仕事につきあってもらいました。
「子どもの希望」する過ごし方をしなかったことで発見がありました。
娘の思考を奪わない。私の希望も伝えてみる。私の予定につきあってもらうのもいいな。ということです。
一緒に過ごすだけで楽しめました。
染み付いた親の本能
赤ちゃんの頃、子どもの泣き声に反応し突き動かされていた日々。これはきっと本能的なものでしょう。
そうすることで小さき者は生き延びてきたはずですから。だって、おかしくなるほど眠いのに毎晩泣き声に反応して夜な夜な起きては子どものために動くんですよ。「そのようにできている」のかなと思うのです。
そうした名残りでしょうか。私には「子どもの希望を叶えなければ」、という思いが身体にしみついているようです。
「平日休日」と聞いて、私は反射的に、「子どもを楽しませたい」、「楽しませなければ」と思いました。
せっかくのお休みなので、テーマパークや動物園、水族館、公園など、いつもは混んでいる施設に連れて行くことも考えました。「子どもが望む」過ごし方を先回りして。
ほんとうに子どもが望んでいるかもわからないのに…。独りよがり感が否めません。
子どもの力を邪魔しない
そう、長女はもう小学生。ありがたいことにりっぱにたくましく育っています。
遊び上手、楽しみ上手でもあります。
「平日のお休みを楽しむ」ことを親が提供しなくてもできるのです。
・お家でやりたいことをする
・お友達と遊ぶ
・〇〇したいと提案
など選択肢も持っていますし、やりたいこともあるでしょうし、考えて実行することもできます。
先走って私が「○○○行こう!」とそれらしい行き先を決めてしまうと、考えることもしないまま過ごすことになります。
いつも親が決定していると結果的に子どもの「楽しむ力」も発揮できないままになりそうです。
親も自分のペースを取り戻す
もしかすると、このように調子だと親子とも息苦さを感じるようになるかもしれません。
今のところ子どもに煙たがられることはありませんが。今後は…。
親も子もそれぞれ別人格です。子どものたくましさを信じて尊重すれば、お互いに選択肢も自由の幅も広がります。
母としても、子どもが生きるための役割を果たしてきたつもりでしが、今後は息苦しくない程度に。
意識して自分のペース取り戻すことで、子どもの力も発揮できるかもしれません。
まずは子どもの意思を尊重して、親の決めつけを減らすことからはじめます。
親も自分のペースで過ごすくらいがちょうどいいはずです。お互い、それぞれ違う人間の集まりですから。
大人は大人の用事がありますし、子どもにも考えがあります。
そういうことで、楽しませたいという「親心」と、ちょっとした「義務感」で過ごすことも考えましたが、「私の希望」を伝えて誘ってみました。仕事の用事メインです。
子どもにも「一緒にいかない」という選択肢があります。今回は長女の希望するお店でランチするということで承諾してもらいました。
私は自分のしたいことができて、長女と一緒にランチしたり街歩きして楽しかったしとっても良かったです。
仕事場で、子どもを待機させることで、ササッとすませることができたのも効果的でした。
自分のことも優先(?)する経験が心地よかったです。またついてきてくれるといいな〜。
【日記】
寒さ再来。2人をそれぞれ送り出し9時始業。だいたい3〜5分前に着席。
申告書返却作業などから。
冷蔵庫の牛乳の在庫が多めに残っています。次女の牛乳ペースが減ってきたようで。成長につれ「牛乳飲んじゃだめ?」という気持ちと、「牛乳おおもりのみたい」という気持ちで揺れています。
長女は引き続き友人達とAIを倒す作戦会議を。ゲームの話?タブレット?と聞くとそうでもないようす。4人で生身の卓上会議とのこと。「電池を抜く。」「感電させる。」など。勝負の行方が気になります!
【something new】
名刺デザイン