疲れていたけど幸せだった?!
昔、帰路につく駅のホームで必ず座っていた椅子。
数分もあれば電車は来るのに、絶対に座っていました。疲れていたのでしょう。
誰かが座っているとがっかりしたのを覚えています。
その頃、くったくたに疲れていても、それでも前を向いていました。
きっと楽になる日がくるはず、来月は来年はもっとうまくできる、
次の試験ではまた一つクリアして、税理士になれば楽になるはずだと希望を持っていました。
いざ、税理士になったからと言って楽になるわけではありませんでしたが、
諦めなければ叶うと信じ、それを目指している状態はもしかすると幸せだったのかもしれません。
けれど同じ道を誰かに勧めようとは思いません。
経験しなくてもよいこともありましたし諦めと背中合わせでしたし、やり方は他にもあったはずで。戦略が失敗だったとすれば、同じ道を進んで欲しくないと思っています。
期限を設定できたのなら
これは10年ほど前の事ですが、もっと早く楽になる方法はあったのかどうか。
耐えられないまま、別の道に進んだ可能性は十分考えられます
もっと早く目標を達成する方法があったとすれば、
期限を設定することだったかなと思います。
税理士登録をしたときは、期限を設定して達成することができました。
それまで期限を設定できなかったのは、税理士事務所で働いていることで、少しでも前に進んでいるだろうという慰めになってしまっていたからかなと。また、仮り先に期限を定めようとして、例えば1年後に!という目標にしようとしても、今度は勤務の実情からして非現実的すぎて、自分自身が受け入れられませんでした。
そしたらどうしたら良かったんだろうかと。
脱線してみたらいい
長い人生の貴重な時間だったことを思えば、大いに脱線すれば良かったのかなと感じています。
最短最速のために、本も読まない、映画も見ない、遊びにも行かない、ゲームもしない、税理士事務所以外には勤めない、という「脱線しないこと」が目標につながっていると考えるのではなく。
仮にこれらが「脱線」だとすれば、おおいに脱線すれば良かったと今では思います。
脱線することで、感情が揺さぶ差れたり、思いを強くしたり、戦略を練り直せる「余白」がでてきたのかなと。モチベーションも、色んな脱線をして、その中で湧きでてくるのかもしれません。
目標は、直接的なこと以外のことを我慢したから叶うものではなく、目指したい気持ちがはっきりしていて、成果がでる行動を積み重ねたからできる。そう考えるためにも、脱線をすすめます。
初めから確固たる目標と思えない、覚悟がもてない場合には、目の前の勉強を着実にこなしながらも、本を読んだり人と会ったりしながら、目標への思いを固めていきましょう。
誰かがひいたレール以外の道も進みたいとすれば、脱線の経験が今後も役に立つでしょう。
【日記】
次女登園。長女フラと歯医者。おもちゃもらえる友人が羨ましいそうです。病院のおもちゃ効果、あなどれないですね。
【次女睡眠日誌】
室温25°、3時間タイマーにしたら切れた後に起きました。1時15分。その後4時台。夜から朝にかけて牛乳800ml。毎朝シーツに汗で湖ができています。