思いやりを育てることと独立との関係

1年の成長はめざましく。(2022年4月)

思いやりを与えられる存在

お知り合いに思いやりに満ちた素敵な方がいらっしゃいます。
そういう方がごくまれで少ないというわけではなく、
幸運にも日々そのような方とのたくさんの出会いがあります。

その中でも特に印象に残るような穏やかな方。
お子さんもきっと思いやりに満ちた素敵な人間に成長されるのだろうなぁと
いつも思います。

同時に、わが子も思いやりのある子に育ってくれたらいいなと考えることがあります。
そして、そのために自分ができることがあるとすれば、
まず自らが、子供を思いやれるように、思いやりを与えられる存在になることが
唯一の方法なのではないかなと考えるのです。

その限りでないかもしれませんし、傲慢な考えかもしれません。
どんな状況でもどんな環境でも、子供自身の力でたくましく育ってくれることと思います。

それでも、自分ができることがあればやりたい。
思いやりのある子に育つから優しく接してあげたい、ということではなく、
単純に、子供が喜ぶことをやってあげたいと思う、本能に近いものかもしれません。

子供の心が満たされること

ところで、子供が何に喜びを覚えるかについては、色々あります。
お菓子を買ってもらったとき、公園に連れて行ってもらったとき、本を読んでもらったとき、
色々あるでしょう。

その中でも、子供にとって特別に満たされることがあると感じています。
それは、親を代表とした保護者との触れあいです。
2~3才ですと、お世話してもらったり、抱っこしてもらったり、みてみて~に応じてもらったり。
小学生にもなると、今日あったことをおしゃべりして、親にたっぷり聞いてもらったり、
宿題を一緒に悩んでくれたり、ピンチに寄り添ってくれたりすること。
時にはぎゅ~っとしてもらったりも。

そのようなことが最高に嬉しいし満たされる時間なんだろうなというのを
日々の生活で感じています。
満たされるとまたがんばる力が湧いてくるようです。

子供を喜ばせたい気持ちから独立を試みる

これらは特別に難しいことではないように思えますが、日々行うのはとっても難しいと実感しています。仕事から帰ってきてお迎えにいってご飯を食べさせてお風呂に入れ寝かしつける。
毎日繰り返され、逃げるわけにもいかず。

そんな中で、ゆっくり話を聞いてあげたり、寄り添ってあげたり、なかなか難しいです。
不機嫌にならず子供のお世話をしたりご飯を作ったり洗濯をしたりお話を聞いてあげるには、
自分に余裕が必要だとひしひしと感じるようになりました。

余裕を持つためには、時間的な余裕と、精神的な余裕がいると考えていて、
自分が時間に追われ、精神的にも追い込まれることで、ストレスを感じてしまうと、
子供にぶつけてしまうこともあります。

自分自身のストレス解消をして、感情を子供にぶつけないようにしたい。
人としても何としても克服したいと考えています。
睡眠が確保できれば少しは余裕ができるかなとずっと期待していましたが、うまくいかず。

そして、それを真剣に考えた結果、今の生活では叶えることができないと判断しました。
独立すれば希望が叶うとは限りませんが、現状維持では解決しないならやってみたかったんです。
とても切実だったので、迷いはありません。

これが独立を考えた理由の一つです。

【日記】
今日は夕方からドラム缶風呂。1缶に子供5人入りました。6人チャレンジできそうでしたが次女は入らず。水着に着替えて意気揚々と「おふろ」に向かったものの、、、想像とは違ったようです。
帰宅が9時になったのでクタクタです。

そんな次女は、もう4ちゃい(4才)なった?もうちょっとで4ちゃいなる?と楽しみなようすです。5ちゃい、6ちゃいもあるの?やったー!と。
長女は、あと40年くらいしたら結婚してるかな~。間違えた、もっと早く結婚してもいいの?と。
将来を楽しみに想像している子供達に「うちの子、きゃわ~」(by推しの子☆)ってなりました。

 

 

 

タイトルとURLをコピーしました