ていねいな暮らし?! 自宅じゃありません⋯。ダスキンミュージアムおそうじ館。
ていねいに過ごしたい
今年の活動指針のひとつとして、
日々の生活をていねいに、ひとつひとつの仕事をていねいにやっていきたいなと考えています。
これまでもずっと考えてきたことです。
けれど2025年に改めて取り上げたのは、簡単ではないということを身をもって体験したから。
会社員時代だけではなく独立後も簡単ではなくて。
むしろ、「ていねいさを追求してはダメなのかも?!」「ていねいにするのは無理があるのではないかな」と考えるほどに。ていねいさって完璧主義を彷彿させるからでしょうね。
ていねいに、とは
そもそもていねいにってどういうこと?あまりにも抽象的ですよね。
生活をていねいにというと、何となく小ぎれいに過ごすイメージですが、一言でいうと、「日々整える」かんじではないでしょうか。
靴を揃えるとか、布団をきれいに畳むとか、モノをもとにあった場所に戻すとか。
心が整うと言われることですが、効果を求めて行うわけでもなく、ただそうする。
むしろ、効果や効率とは相反する行動でもあります。(厳密に追求すれば効果があるのでしょうけれど。)
私は、今日も整ったテーブルをみて、整ったキッチンカウンターをみて、ていねいに生活できている気がしていて、何だか大丈夫だなという安心感を得ています。
そして、仕事をていねいに、というのはどういうことでしょうか。イメージとしては、細やかな気配りがあるという面もあるでしょう。しかし、私が考えるのは、自分の全力をもって取り組むイメージです。そういう意味では、気配りも含まれますね。
私にとって「ていねいに」とは、自分がお役にたてそうだなぁと考えつくことを、あますことなくしっかりと行動にうつしていくことです。
ていねいさを実現するには時間が必要⋯だから「効率」
そこで、実際に行動にうつしていきたいと考えたときに、ネックになるのが時間。際限なく時間を与えられない限り、全部は「ていねいに」できないのが現実です。
そこで、思いつくのが「効率」です。
効率は、ショートカットキーのようなイメージもあるとおり、「本来ならば行っていた手順の一部を省略して早く実行する」ようなところがあります。
ですから、ていねいさが持つ「あますことなく・きれいに・+α」というイメージと相反するところがあります。効率が省略することなら、ていねいさは+αするところがあります。
だから、「効率を求めることと、ていねいに過ごすのは相反するのかな」、「効率を求めるとダメなのかな」、と思うかもしれません。
しかし、そうではないのです。
ていねいに行いたいからこそ、効率の出番なのです。
やっぱり効率求めるのね、仕事にも生活にも。というと、そうではなくて。
ていねいにたくさんのことを実現しようとすると、ていねいに暮らそうとすると、効率を求めるようになります。時間が欲しいから。もっと活動したいから。効率なくして、ていねいに暮らすことはできないから。
もっともっと時間と労力を捻出するためです。
私はていねいに過ごしたいから、というのが原動力ですが、
やりたいことのために効率を求めるという流れは同じです。
やりたいことをしたいから、効率をあげたい。どの部分で効率をあげるか。
たくさんのやりたいことの中から、どの部分を効率化するかは選ぶことになるでしょう。
せかせかしたイメージの効率化ですが、そうではないゆったりとした時間やていねいな暮らしのために、そういう取り組み(効率化)の時間があります。
効率を求めるのは、ていねいに暮らすことと相反することではないのですね。
そういうことで、今日もたっぷりのやりたいこと、余暇、ていねいな暮らしのために、効率化できることに取り組んでみましょうか。
【日記】
次女、海の生き物のスポンジでごっこ遊び。幼少期に好きだった擬人化遊びは今でも好きで、一人何役も行っています。保育園2日目、なんなく通っています!
長女は学童へ。久しぶりの学校。それなりに楽しめたようす。新学期の練習ができるから明日も行く!とやる気いっぱいです。
私は朝早めの訪問。創立総会参加と打ち合わせ。その後は11月決算業務など。お問い合わせなど動きがあります。ペースをあげすぎて反動がでないようにやっていきます。
ちょっとした焦りがあったのか、クラウドデータを危うく消失しそうになり、クラウド以外にバックアップとるため時間をかけることになりました。ふー。
家族の食事は、時間かけすぎず温かいものを準備できていて満足。
【something new】
ローソン くちどけショコラクレープ