たこやきを焼くのがうまくなる環境にいます。
たこやきを焼くのがうまいと評価されます。
会社勤めでは頑張ってもそれほど評価されない
独立を選べてよかったなぁと、思っています。
勤めたままだと、頑張っても頑張らなくても評価に変わりなく、
頑張らない理由ができてしまうからです。
例えば、世の中にはこのような評価もあります。
・たばこ休憩や、夕食休憩など、だらだら働く。→残業多いとして高評価。
・子供の体調不良で早退、欠席することがあっても、(コロナ禍においても、)
割り振られた担当のお仕事を他にフォローいただくことなく全う。→勤務外でリカバーした分は評価されず、早退、欠席が多いということで50%減の評価。
・申告書作成の仕事だけでも、それ意外の仕事をしても→同評価。
・前任者のやり残した仕事、ぐちゃぐちゃな状態の仕事を引き継いで、取り戻し、整えても→評価なし。
・上と違い、引き受けられません!と強めに拒否して仕事を引き継がない→評価変わらず。
・一時期(慢性?)の人員不足分を多めに担当しても→評価なし。むしろ今後はそれが標準に。
・お客様に対して、「経理ができていないから申告書作れません」と突き放しても、
「ここはこのように経理入力してくださいね。残高はこのように確認することができますよ。」と一緒に取り組んでも→同評価。
頑張っても評価されない環境です。こういう場所にいると頑張ろうとしなくなってしまうかもしれません。
いかに楽するかを考える環境
税理士事務所では、まだよくあることかもしれません。
いかに手間をかけず楽をして給料をもらうか、という生き方も選べます。
そういう生き方を、自分がうまくできなかったから、
そのような過ごし方が上手な要領がよい方が羨ましかったのかもしれません。
でも、やっぱり、そんな環境に留まってしまうことが怖いなと思います。
頑張らなくなってしまいそうだからです。
そのまま要領よく過ごしていたのなら、その環境で評価されるような能力しか
身につかなかったかもしれません。
幸い、そういう方向に舵を切ることはありませんでした。
そういう環境の中でも、自分で自分が望んだ仕事をやってきました。そのため苦労しましたし、やりにくかったですし、評価はされない面もありましたが。
会社には評価されませんでしたが、お客様には喜んでいただいていたこともあったのなら嬉しいなと思っています。
自分ではそう信じることをやってきたつもりです。
頑張りが必要とされる場所に見を置く
生きるためにも、評価されるように過ごせば良いのですが、できませんでした。
ポリシーというか、軸というか、生き様というか。
「損」する生き方だなぁと思うこともあります。
「勝手に」一生懸命やっておいて、
誠実に取り組もうとする気持ちを搾取されているような悲しい気持ちになることもありました。
その頃、外部の先輩に、今すぐお金で報われることばかりではない。と言われたことがありました。
今になって、こういうことを言っていたのかなぁと、思ったりもします。
今、私が提供したいお仕事は、そうした「損」をし続けた中で培った力であり、
そのときどきしんどい思いはしましたが、譲れなかったものであり、
譲れなかったから、できなくて悔しくて、悔しかったからできるように頑張ってきたものです。
これからは、頑張っても評価されない環境ではなく、
頑張りが必要とされる場所を見つけて、(頑張る方向に気をつけながら)やっていきたいです。
そのための一歩を踏み出せたかなと思っています。
楽ではないのでしょうけれど。
自分がよいと思えることに注力できるのが、独立のメリットですよね。
自分がやりたいと思っていることができる環境に身を置いてみませんか。
(たこ焼きうまくなりたいならぜひ大阪へ。)
【日記】
午前は、ハロウィン制作。長女はピニャータ(!)作り。次女はかぼちゃバッグを。
午後は、世界とつながりながらたこ焼きパーティ。
オーストラリアの方から、NationalAnimal?と聞かれました。
カンガルーを見せられて納得。こちらからは手元にあったイルカのぬいぐるみを。違うけど。
たこ焼きを見せるとパクパク食べる仕草をしてくれました。食べ物だとわかったようです。
長女はアルファベットのポスターを。次女はエービーシィーディー♪と歌っていました。
【次女睡眠日誌】
寝る前は、夜中は眠いから起こさなで欲しいと言うと快い返事をくれる次女。
夜中にはなかったかのように叫んでいます。
今日も、寝かしつけのときに、夜中は眠くてしんどいから起こさないで欲しいと伝えると、
ニコニコしながらわかったといってくれました。さてどうなることやら。