やりたいことを詰め込むために

めいっぱい楽しみました。ギリギリにならない作戦も。

40代の自分を直視する

40半ば、年齢を重ねていっているという実感があります。
認めたくない気持ちもありますし、抗いたい気持ちもありますが、
できることに限りがあるのを受け入れようと思っています。

その理由は、やりたいことを叶えるため。
まだまだ大丈夫と思っていると、いつまでものらりくらり過ごしてしまうでしょう。

考えたくないことから目を反らすような、そういう過ごし方も、考えようによっては
幸せかもしれませんが、私は望んでいません。
やりたいことがたくさんあります。

たくさんあるからこそ、自分の持ち時間のうちにどのように叶えるか
作戦を練りたくて、現実的に考え向き合っています。
現在の自分を客観的に見るように意識しています。

年齢と向き合うのは前向きなこと

もちろん、やりたいことを諦めているわけではありません。
必ずできる、やり遂げてみせる、という意気込みはむしろ40代ならではかもしれません。
40代は働き盛りと言われると、納得できるくらいには、良い年齢だなとしみじみ感じています。

ただ、「できるだろうけれど負担なこと」は確実に増えています。
例えば、逆上がりや潜水、コーヒーカップの回転、細かい字を見ること、新しいゲーム、重力。
「できるけれどやらないこと」も。
カフェイン飲料を飲んだり、ラーメン二郎を食べたり、徹夜をしたり。

年齢と向き合って、無理はできない、しない、ということです。
無理をしないというならば、やりたいことを叶えるために
着実に進む方法を考える必要がでてきます。

私はそれを真剣に考えたので、税理士資格を取得できたと思っています。
年齢と状況に向き合って、できることに限りがあることを知り、作戦を練りました。
年齢を直視することは、とても「前向きな」取り組みなのです。

 

与えられた時間を増やす取り組みも

別の例で例えると、
遊びに行きたいところがたくさんあって、どのように予定を立てようか考えている状態と似ています。
水族館も映画館も動物園も遊園地も行きたい。
土日が休みだから、土曜日に水族館と映画館、日曜日に動物園と遊園地にしよう、という具合です。

まず、休みが何日あるか。土曜日と日曜日だなと確認することが、
自分の年齢と向き合い、与えられた時間を把握することに似ているなと思います。
○○才までは今の仕事を続けられそうだな、○○才までは遠出もできそうだなと。

けれどもそこで留まらず、
土日以外にも遊べるように工夫し続けますし、
年齢を重ねても活動を続けられるよう、心身を整えて、
与えられた時間を増やしていくつもりです。

やりたいことがあるから、時間をつくるのか、
時間があるからやりたいことができるのか。

やりたいことがあるから、時間をつくることに真剣になるのでしょうね。
「やりたいことがある→今与えられた時間は○○→足りない→時間をつくる」かなと。
やりたいことは譲れないことばかり。なので時間をつくることにつながります。

「時間がある→時間内で収まるだけやりたいことだけをする」
というのでは物足りないくらいのやりたいことを見つけてみましょう。

 

【日記】
長女は学童へ、次女は保育園に。
次女は起きがけすぐに私が出社すると泣き叫びます。怒っているようです。
後ろ髪をひかれることを知っていてのことだったとすれば見透かされています。
毅然とした対応が必要かもしれません。

天神祭りでした。夕方から花火の音と少しの光が見えて良い時間を過ごせました。
長女0才の頃にベビーベットの上で花火を見ていたことを思い出します。

 

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