AIがあるのに文章を「手作り」する意味

写真も手作り。

AIにきれいな記事を書いてもらえる時代に、自分で手作りする意味について考えてみました。

AIで量産される時代

AIやデジタル技術で、これまで時間がかかっていたものが短時間でできあがるようになりました。
その技術が一般的に使いこなされるまでには、まだ時間がありそうですが、それも時間の問題でしょう。

そうすると、さまざまなコンテンツが量産されると予想されます。そして、それはディープラーニングの結果、一定の同じようなものができあがると考えられます。

コンテンツは、今まで以上に既視感のあるものが多く出回るのではないでしょうか。AIがなくても、同じようなものを目指せば同じようなものができる世界ですから、写真や漫画やゲームなども、「好まれそうなもの」として似たようなもの、見たことのあるようなものがこれまで以上に増えていくのではないでしょうか。

AIにはできない「手作り」というポジション

多くの似たようなコンテンツが量産されることで、「人しかできないこと」がクローズアップされる傾向にあります。

嘘っぽくない「生身の人間」の発信もそのひとつで、きっと近い将来はこのブログも含めた手作りブログだって、「AIの力を借りずわざわざ書かれてきたひと昔の作品」として認知されるのでしょう。

CGの時代に、「手書きのアニメ作品は古いけど趣がある」と評価されるように、CGのように「きれい」ではないし、「ミス」もあるけれど、「人が作ったもの」として特有の個性と魅力が残るのではないでしょうか。

これからは、「AI使わずに書いた文章」というポジションができあがると考えられます。

AI時代の個性の出し方

そうすると、AI時代には、手作りしているだけで個性がでるとも言えます。鋳型を使わないジュエリーのように、ひとつひとつが決して真似ができない個性を持っているし、それが際立ってくる可能性があります。

そのためには、ただ自分の言葉で書くだけなのですが、そのハードルも高くなると思われます。
漢字を手書きせずにスマホやパソコンで書くことになると、習字や書道のハードルが高くなりますよね。それと同じではないでしょうか。「自分の言葉で書くこと」は、「わざわざ行うこと」のひとつになることでしょう。

そして、もはやそれは簡単なことではなくなるのかもしれません。
「文章の書き方がわからない」。そんな時代がくるかもしれません。

実際に、AIは立派な読みやすい記事を作ってくれます。箇条書きや、まとまらない文章、アイデアのメモ書き程度のものを投げかけるだけで。ですから、何をAIに書いてもらうか、という部分で「個性」を出すのが一般的になるのかもしれません。文章まで手作りするのはより深い個性の出し方になるのかもしれません。

 

AIがあるのに手書きする意味は、量産との差別化でもあり、究極的には「個性」をだすため。手書きなんて大変だし誰がやるんだろう…という時代に「珍しい」個性として残るのかもしれません。

自分で「書く」意味はそれだけではありませんけどね。AIに手伝ってもらうとしても、自分の文章に仕上げる能力を鍛えたいですね。

 

【日記】
長女が通うダンス教室の卒業セレモニーに参加。その後ランチに。フラダンスを始めたのが昨日のことのようなのに、今年はぐっと自分事のように感じました。長女が20才になった自分はどんな感じかなと言うので、今みたいに「ママ〜♪」ってやってこないだろうねというと、「自分はいつまでもママママ言ってるよ!」と力を込められました。10年後にこの日記見直します。

【something new】
博多もつ鍋やまや

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