大流行の「落ちる~助けて~」ごっこ。
助けを求めるためには、まず、自分が「助けを求めたい」と思っていることを認識することからではないでしょうか。
助けを求められるように
子供が自分で着替えられないときなどにも、
しゃしゃり出ず見守ることがあります。
そのうち「ギャー!」とか「でちないー!」とか言うのですが。
そういう時は、
「『お着替え手伝って。』と言ってね。」
と伝えています。
「できないのわかってるでしょ。」、「こんなに困っているのに。」
「『着替えを手伝って欲しい』ことは、言わなくてもわかるでしょ。」
という気持ちかもしれませんが、
その気持ちを汲み続けているとはだかの王様になりそうです。
まだ幼いので、できないもどかしさは共感しているつもりですが、
私も、「お着替えを手伝う」以外の選択肢をもっています。
- 自分でお着替えするのを応援する
- 誰かに手伝ってもらう
- 何もしない など。
「自分が何を求めているか」を自分でもわかってくれたらいいなと思っています。
そして、相手にお願いしたり(お願いしなかったり)、自分で要望を伝えて欲しいなと。
さらに言うと、お願いの方法もたくさん、やりようもたくさんあるよ!と。
順番でいうと、
- できないことがある。
- 手伝ってほしいと気づく。
- お願いしたり行動を起こす。
という考え方ができればいいな~と。
今のままだと、
- できないことがある。
- 不機嫌になる。
- やってくれる。
という風に世の中を理解しそうで。
赤ちゃんはそうなのかもしれませんが。
もしかすると、小さい子供に対し突き放した考えかもしれません。
ですので、共感して励ましつつも、ゆくゆくは自分で考えてみようねと。
「自分の望み」をわかることは大切なことだよ、と伝えていくつもりです。
これは「助け」を上手に求めるためのヒントにもなりえます。
助けるのも簡単ではない
一方で、助けるのも簡単ではないです。
今日電車のホームで「白杖」をもった方をお見かけしました。
「お手伝いしましょうかと急に手を取る」イメージを飲み込んで、
むしろ白杖に当たらないように距離を取りました。
自立したい、自分でできることはやりたいと思っているのを
でしゃばるのは、助けではなくおせっかいだなと。
本当はどう思っていらっしゃるかわかりませんが、
きっと自分でやれることはやりたいのではないでしょうか。
過度に気をかけられても居心地が悪いように(人によるかもしれませんが私はそうです。)
過保護は傲慢な考えによるものかもしれないなと自分を戒めています。
ですが、必要ならば手助けしたい。そんな時は
「~~してくださいませんか」と助けを求める側から声掛けがあると、
何を手助けすれば良いか明確ですし、役にたてて嬉しいですよね。
助けてもらうにも練習が必要
とはいえ、助けを求めるのも簡単ではなさそうです。
うまく伝えられない、遠慮してしまう、諦めてしまう、など。
私も苦手な方です。
だいたい自分の気持ち、心の底からの希望をはっきりと気づいていないことが元なのかなと。
うすうすそう思っているけど・・・と、
はっきりと認識していることに大きな違いを感じます。
伝えるのが苦手な私は、
「うすうす」思っていることを、はっきりと伝えることはできません。
はっきりと認識していることを、何とか伝えることはできるかもしれませんが。
さきほどの話で言うと、「手伝ってほしいと気づく」というところです。
「自分がどうしてほしいか気づく」のが助けてもらう重大な要素だと思うのです。
最近仕事で、
「メールでも電話でもかまいませんのでお知らせください。」とお客様に伝えたことがありました。
うすうす「メールで返事ほしいな。」と思っていました。電話は長くかかりがちなので。
自分の軸がしっかりしてるとこうはならなかったなと思いました。
「うすうす」しか気づいていない気持ちは、
まだまだなりたい自分像に貪欲とは言えませんね。
なりたい自分=自分はどうしたいのか、
がはっきりわかれば、
「こうして欲しい」とはっきり伝えられると思うのです。
うまく助けてもらうには、なりたい自分を考えてみましょう。
自分がどうしたいかに気付くことから。
そして、「こうして欲しい!」とはっきりお願いしてみましょう。
「メールでお願いします。」と言ってみましょう。
【日記】
・ポテチデビュー。とまらず。
・先のことを見越せるように。(〇〇するって言わないでね。と先にくぎをさされる。)
・今日一番がんばった人として名前を呼ばれたのが嬉しくて。
・映画「SING」を見ながら、ポテチ。