「練習」という言葉が気にいっています。
「ヘルシンキ 生活の練習」という本を読んでからというもの、「練習」という言葉をもっと日常的なものとして捉えるようになりました。
「ヘルシンキ 生活の練習」について
この本は、日本に生まれ育ったの著者が、二人の子どもとヘルシンキへ渡ったレポートです。それ以外の記述もありますが、フィンランドでの「子育て」についての実体験が綴られています。
「子育て」という言葉はフィンランドでは当てはまらず、「子どもには学び練習する権利がある」という感じ。日本は両親の就労状況に応じて保育園入園の可否が認定されますが、フィンランドでは全ての就学前の子どもが保育園に通うことができ、あらゆる「練習」することができます。
そこでは、「正直さ」「忍耐力」「共感力」などのあらゆることは、スキルであり、練習することができるものだといいます。
たとえば、就学前教育の最初の一週間で学ぶのは、「友達の作り方のスキル」。
友達を嘲笑する子どもに対しては、絵本などを通じて学びの場を与えます。「物事を笑うことと、人を笑うこととは別のこと。前者は友達と楽しめるが、後者はそうではない」と。これが「友達を楽しませる技術」であり、それを「練習する必要がある」という考え方なのです。
著者はこの出来事について、「『男の子はやんちゃだから、〇〇しても仕方がない』という説はその男の子にとっても害があると思う⋯〇〇された側の人間が嫌な気持ちになったとしても、その言葉で封じ込めてしまいはしないか」というふうに言及しています。
そして、保育園の面談でなされるのは、「子どもがもう練習できているスキル」と「まだ練習する必要があると思うスキル」について。
See the Good!カードというものを通じて、「我慢強い」「思いやりがある」「好奇心がある」などの強みやアクションについて、「今できていること」、「これから練習が必要そうなもの」についてお話するのです。
これまでのイメージとは違う意味で「練習」という意味を捉えているということをお伝えしたくて、ざっとこの書籍のことをご紹介しました。
「練習」は肯定的でも否定的でもない
「練習」は、まるで幼い子どもたちだけに必要なもののように聞こえますが、大人にも当てはまるのではないでしょうか。本書で、「これらのスキルはすべて、1歳から死ぬまで練習できることですよ。」と書かれているように。「練習」という考え方が魅力的である理由について考えてみました。
持って生まれた性格や性質ではない
我慢強い、好奇心がある、などは、持って生まれた性質であるという考え方ではなく、練習して習得できるものと考えます。「性格」という言葉でくくりつけたり、決めつけないのです。
評価ではない
できること・できないことについて、肯定的でも否定的でもなく、ただ「できるかできないか」という現状把握として捉えています。淡々と。良い・悪い という評価ではないのです。
未来志向(もっとよくなるために)
「練習」という言葉は、未来志向であり、「どうすればできるようになるか」という思考につながります。
自分の至らない点について、「ダメだな⋯」と否定的に捉えるのではなく、「まだ練習しないと!」という考え方ですね。
練習しよう!
この1年、できたこと、できなかったこと、色々思い返すことがありますが、
まだまだ「練習が必要だな!」と考えています。
「練習」が必要だと思うと、今のありのままの自分も認めてあげて、それからまたやっていこうという気持ちになれます。習得できたスキルも棚卸してみましょう。
そして、来年はどのスキルを練習しようか。そんなことを考えながら、年末年始を過ごしてみるのはいかがでしょうか。
【日記】
「北風小僧の寒太郎」がやってきました。次女は登園おさめ。これからの連休を励みにして今日は登園。変わらず「たまごサンド」ラブ。帰宅後はサンタさんにもらったおもちゃを愛でていました。
長女の冬休みの宿題を添削。「600gの箱に8個2400gのりんごを8個入れると合わせて何kgですか」
という問題に悩みました。入らんやん!と思ってしまった私です。
長女の質問に答えるのも簡単ではなくなってきました。同じように間違ったり。汗
夜は今年はじめて家族4人でテレビを見て大笑いしました。そんな時間も悪くないな〜と。
【something new】
マイニチケアガム