90代社長の起業のお話

贈り物のジェンガ。

90代社長のお話です。
T社長とは、私が税理士法人勤務中に出会いました。いち担当者としてお付き合いが始まりました。15年ほどのお付き合いです。私にとっては、人として経営者として学ばせていただく先輩でもありますし、税理士になることを後押ししてくださった恩人です。

ご勇退されてからも、色んなお話をお聞かせいただくことがあります。独立して、そのお言葉の深みを前より想像できるようになりました。
「独立起業」の昨今を思いながら、T社長のお話を書きとどめてみます。

生い立ち

7人ほどのご兄弟の末っ子として誕生されたT社長。戦時中だった当時は無事に生まれることも今より難しかった時代だったそうです。
戦時中の4歳のころ。食べものに困っては、週に一度、母親と一緒に、10km離れたところまで着物とお米を交換してくれる闇市のようなところまで通ったとのこと。それも十分ではなく、なんとか生活をつないでいらしたそうです。

お父様は近鉄百貨店でレタリングを使った「大売り出し」などのポップを書いていらっしゃったとのこと。
自宅から電車1本で通えるからといった理由からか、父親のいる近鉄百貨店まで幼いながら一人でご用向きに向かわされたこともあるとおっしゃっていました。

 

印刷業で起業

そんなT社長。色んな職種をご経験されたとのことです。飲食業界でも3年ほどやっていましたが、どこかの有名店での食あたり事件を見て、飲食は難しいと判断され、別業界へ転向されます。そこで、今後の生業となる「印刷業」のお仕事に携わることに。

遠縁の印刷やさんが行っていたという御縁のようですが、丁稚奉公だったとおっしゃっていました。ご経験なしの業界、業種ながらも、何も教えてもらえなかったとのこと。見様見真似だったといいます。
お仕事内容は、印刷の仕事をとってくること。

わからないながらも、とにかくたくさん働いてたくさんもらい稼いだけれども、営業先からもらってきたお仕事の10分の1のお給金もいただけず、3万円(不詳。やたら少ないということはお聞きしました。)くらいだったとか。勤め先の社長の姻戚にはよい思いをさせてるのに、T社長は3年くらい勤めても待遇をよくしていただけないので、独立することにされたとのこと。

その時に、勤務先の社長に、言われたのが、「お客様を引き連れていくなよ。」と。
T社長は、「連れていきます。自分が見つけてきて関係を築いてきたお客様だから。貴方がたもどうぞ営業の人を向かわせたらよろしいわ。」とおっしゃったのだそうです。

独立後は、当然ながらこれまでの数十倍稼げるようになり、ますますお仕事に精をだされたそうです。そして「苦しいから雇ってほしい」と、後からついてきた元同僚の方も雇われ、お仕事を大きくされていかれたとのこと。その方々にはたくさんお給料もお渡しして、たくさん稼げるようにされたそうです。

その方々が独立されるときには、営業用に使っていた車もお客様も退職金も積立保険も全部持っていくようにして差し上げたそうです。

 

運がよかった

T社長は一代で財をなされたわけですが、「自分は運が良かった。」とおっしゃいます。
「運が良かった」とおっしゃる社長は多くいらっしゃいます。「運が良い」のは、経営者としてマネできることではありませんが、私がT社長のお話をお聞きして、運とはもしかするとこういうことなのかな、と感じたものがあります。

1つ目が、とにかく他人より働かれたということ。
お話をお聞きしている限り、他の方が働き始める前から後まで働いていらっしゃったのだろうなと感じます。

2つ目が、他人に親切にされていらっしゃるということ。
ご本人がおっしゃるお言葉をお借りしますと、普段はケチだけれど、他人にはとことん良くしてあげたい。のだそうです。ケチしてコツコツためたお金を、他人のために使うのは矛盾しているけれども、使い喜んでいただくのが何よりも嬉しいのだとか。

3つ目が、自分が一生懸命接して気にかけてきたお客様に対する自信。
独立する際にも、自分よりもこのお客さんのことを考えてやってきた人は他にはいないという自負があられたそうです。他の営業マンが来ても、揺らがない自信があったそうです。それほど大事にされてきたお気持ちが通じていたのでしょう。

 

人生の長いお話の中から印象深いお話をぎゅ〜っとまとめてみました。大先輩のお話ですが、今にも通じるお話ではないでしょうか。

【日記】
T社長と出会えた幸運に感謝して記録しました。

今日は次女と留守番。今日から急に秋です。私は寒いくらいでも次女は涼しく嬉しい〜!とご機嫌。今日も布団を被らずに眠っています。マットレスも譲ってくれません(涙)。絵の具、レゴ、シルバニア、図書館、布団アスレチックで遊びました。あと、自分の変ポーズを動画で撮ってチェックして大笑いしていました。
次女名言:「全部のピンクのピンク姫になりたい。」

長女はカブスカウト活動。世界のスカウトと通信。英語できたらより楽しいので英語する?と聞くと、「理科がいい」と謎返事が。ただ理科が好きという意味でした。

【something new】
アミアミ

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