子供に優しくなれないのは自分の未熟さではなかったのかも

登園途中。
赤矢印の方向(→)に向かっているのに道路標示の「れ」に沿って折り返す次女。
だまって付き合い、カメラを向ける私。

子供に優しくなれない生活

会社員時代。朝から子どもたちに「はやくして」を連呼して、
保育園に連れて行き、また「はやくして」と時計をみながらそわそわ。
急いで会社に向かう朝。

お迎えがあるから定時帰宅は必須。プレッシャー。

同僚よりは早めに定時に帰っても、それからが始まり。
学童と保育園にお迎えに行って、夕飯の準備。
「宿題したの?水筒だして。手紙だして。」と伝える口調は、ゆとりなんてなく。

夕飯、片付け、お風呂、はみがき、寝かしつけ。怒涛の夕方。
親が見ないと完結しない宿題。提出物。準備物。
夕方は子どもたちも疲れているけど、自分も疲れている。

自分の未熟さと思っていたけど

あぁ、ほんまに、子供にもっとおおらかに接することができればいいのに、
「未熟」だなぁと思っていました。たしかに未熟なのですが。
自分の未熟さゆえに子どもに優しくできないのは違うのかもしれないと今は思います。

優しく接したいとは思っていたのです。できないだけで。
「状況が整っていない」ことが大きい理由ではないかなと。
だってもう1日中働いて、十分がんばっているのではないでしょうか。

子どもとの生活が始まる前、大人だけの生活でも仕事後はぐったりしていました。
それを考えると、子どもとの生活は、ものすごい負荷やプレッシャーがあってもおかしくありません。

独立して、穏やかになれる「状況が整った」

独立して、子どもたちに対して穏やかに接することができるようになりました。
知人やその他の方々に対しても、ポジティブに関われるようになった気がします。
(対人関係は労力がいるのでこれまで避けてきたかもしれません。)

子どもたちへの態度がどう変わったかというと、これまで通り叱るときもありますし、強く言う時もありますが、
大きく変わったのは、毎朝穏やかに送り出して、穏やかにお帰りを言えるようになったことでしょうか。

「あ〜平和に送り出せた、嬉しい」、と毎朝かみしめています。余裕がない朝をたくさん過ごして来ましたから…。次女が保育園の登園中に遠回りをしても水たまりジャックをはじめても楽しく付き合っています。
そして、穏やかな朝は、私が成長したから、未熟じゃなくなったから実現したのではなくて、「状況が整ったから」だなと思うのです。

独立して時間の使い方、お仕事する方々、一緒に仕事をするチームに恵まれたこと、
子どもの成長とともに、ゆとりができてきたことなど。

なりたい自分になるためには、自分の内的な成長を待つのではなくて、「状況を整えること」が必要だったのだなと知りました。

なので、みなさんにも、自分が快適に過ごせる「状況を整えること」について注力してほしいと思うのです。
自分を追い込む方向ではなく、自分を楽にしてあげることで「発揮できる力」(潜在的な力)もあるということを意識すれば、また違ったアプローチが必要だと気がつけるかもしれません。
そして、自分の望む生活のためには、独立や転職や生活の変化がマストだと思えたなら、行動する原動力になることでしょう。

【日記】
長女4時15分に起きて南港に釣りへ向かうも「ボウズ」。「ワカメばっかりやった」と。切ない。雨だし条件がいまいちで残念だったね。しかも立ちっぱなしだったようで。かなり疲れたのもあり、しょんぼり。アイスでねぎらって、お昼寝をしたらちょっと元気になりました。
次女は1日中テンション上々。体調のせいでテンション低い私も次女の変な踊りで大爆笑。
家族のなかでひとりだけ元気で、鉄シロップの威力を感じます。

【something new】
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