頭の断捨離も。波に乗るような感覚を得るために。

波に乗るような感覚

何かしらの余裕がでてくるとともに、波に乗るような感覚を体感することがあります。
波に乗るような感覚とは、滞りなく進むだろうという直感のような確信のようなもの。多少の困難があっても解決できるだろうなというイメージもできます。

流れに沿うあり方なので、自分に負荷がかかっている感覚もありません。ただ淡々と行うだけ。傍からみれば相当の努力しているように見えても、本人にはそれほど努力しているという感じはないのです。

「好きなことを仕事にする」とか、「親や自分のルーツとなる人がやってきたことをやる」などと言われるのは、そのような手応えを感じられることを行うための道しるべなのでしょう。どういうことをすれば、自分が心から、「これが自分のやりたいこと」、「この仕事が『しっくりくる』」、「なんだかうまくいく」という手応えを感じることができるのか。

「好きなこと」や「親兄弟がやってきたこと」というのは、そこにたどり着いた人たちの「あるある」のパターンなのかもしれません。この感覚を体感している人たちが、自分を振り返ってみると、「好きなこと」をやっていたり「祖先と同じこと」をやっていたことが多いのでしょう。

新しいことの中にも普遍的なものがある

逆にいえば、波に乗りにくい、何だかうまくいくイメージが持ちづらいというのは、自分に染み付いた遺伝子的には新しく馴染みのないことで、人類の進化にチャレンジしているのかもしれません(笑)

新しく馴染みのないことはいつの時代にもあって、現代でいうと、AIの研究をするとか、宇宙探索をするとか、過去にはなかった新しいことは常にありますが、「祖先が行っていたことなんて参考にならない」ということではありません。

それを、「人類の英知を役にたてたい」、「冒険やチャレンジが好き」というように置き換えれば、やっていることは新しくても、性質的には普遍的なところに落ち着くのだと思います。

「好きなこと」を探すために

でも、そう言われても、自分の「好きなこと」を見つけるのは簡単ではないはず。「好きなこと」というのは、簡単なようで捉えるのは簡単ではない。自分の感覚を研ぎ澄まさなければ、自分はこれが好きなのだ!と感じることができないのです。

波に乗るようにできることを探しているのに、波に乗らなければ「好きなこと」だったと気づくことができないのです。
心の底から素直にならないとわからない。素直になるのは敗北を認めるような、夢を諦めるような、挫折感を感じることもあるので簡単ではないはずです。なぜなら自分の「好きなこと」「しっくりくる方向性」が見えてくれば、それ以外のものは違うものだったと感じてしまうからです。

それは例えば、数年以内に〇〇したかった、という方向性の違いということでもあらわれます。短期的な目標をかかげているのに、自分は長期的な目標達成の方法が得意だということを認めなければいけないということにもつながります。うさぎを目指していたのに、カメだったという衝撃ですね。

しかし、カメだからと悲観することもないのです。カメだから達成できることがある、カメらしいやり方があり得意なことがある。そしてそれがうまくいくとすれば、自分は「なにものなのか」「どういうタイプなのか」を知ることは決して辛いことではないはずなのです。

 

特に若い頃は、自分には何となく合わないなと感じていても、これが正しいのだと突っ走ることも多いでしょう。がむしゃらにといえば聞こえはよいのですが、突っ走っている、しんどそう、などと周りには映ることもあります。でもそれでもいいのです。そういう経験からしか「自分らしいありかた」を見つけられないこともあるのです。

でも、もしできるだけそんなしんどい思いをしないことを望むなら、少しのゆとりをもつことが役にたつでしょう。全くの余裕がない生活や心の中だと、今行っていることではない「何か」に気がづくことが難しい。

「入り込む余地」があると、何かしら「気がつきやすい」です。

年の瀬ですから、お家の大掃除だけではなく、自分の頭の中も整理して、断捨離さながら上手に手放して、残したいものだけを大事にとっておきましょう。
頭の中に、気持ちに余裕ができたのなら、自分にとって「楽しくて」「心地よく」「落ち着く」ものを知るためにその余白を使いましょう。何かを無理やり押し込むのではなく、これがやってみたかったんだよね、というようなことをやりましょう。

それがきっと、波にのるようなことに出会えるための一歩になるでしょう。

 

【日記】

年末断捨離していると、思考もクリアになるなぁと気がつきました。
そしてシンプルに考えると納得のいく考えに落ち着きますね。色々と片付けて新年を迎えましょう。
キーワードは「無になる時間」。

「爆笑する」冬休み。長女はずっと「爆笑」しています。大笑いではなく、箸が転んでもおかしいとばかりに「爆笑」。楽しくて仕方がないそうです。満たされているのが伝わります。
満たされていると自然と人のためにも行うことができるものですね。
で、あまりにも笑うので振り返ると、冬休み直前、私の希望として伝えたのが「爆笑」。一日に一度、娘たちが爆笑すると最高って言ったよなぁ。ことばにしたからやってきたのかなぁ。

ただ、結構単純なこと。好きなだけねて、好きなことで遊んで、好きなものを食べて、がみがみ言われない。そしてたまにママと一緒に遊ぶ。ただそれだけで、十分に嬉しい。それは昨年にはかなわなかったことでしたね。年末にしみじみ思ったのです。

【something new】
お寿司パーティ(お寿司になりきる柔軟体操)
文字では伝わりませんがめっちゃおもしろかったです。

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