ルービックキューブを時短?!(分解していました。)
いろんなことをやりたいから時間が足りない!ほかに時短できることないかな。
と考えたりしますが、
時短が即しあわせにつながるわけではないかもしれません。
時短も好みがある
先日、ある子育て中の方の配信をみました。
未就学のお子さんが3人もいらっしゃり、お仕事も充実されていてご多忙な日常を過ごしていらっしゃるようです。
その内容の一部を配信していましたので興味があり拝見しました。
その方が時短されていらっしゃる部分がわかりましたし、
ご家族のチームワークやお子さんへのお気持ちも伝わってきてほっこりしました。
その中でも、時短っていろいろだなと思ったのです。
たとえば、「今はできないけど、またゆっくり料理したい」というところで共感しつつ、
一方で、お米を毎日研ぐというところはルーティンにされていらっしゃったのが印象的です。
私は無洗米を選んでいますが、時短にも好みがあるんだなと思いました。
時短は絶対ではない
時短については、人に強制するものでも、絶対的なものでもないですよね。
もし、全ての時短が正義かのように考えてしまうことすれば、気をつけたいですね。
時短の3種の神器と言われている洗濯乾燥機も、選ばない方もいます。
洗濯乾燥機能は大きく時短にはなるけれど、あえて縦型洗濯機を選び、乾燥もしない。
自分がこうしたいという思いがあるのでしょう。
食器洗い乾燥機も使わないであえて手洗いされる方もいらっしゃいます。
ロボット掃除機も同じく。
洗濯も食器も気持ちはわかります。手干し、手洗いはきれいに仕上げられますもんね!
時短だけが正義なら、お米は無洗米、切符はIC、手紙はチャット、ということになるのですが、そうじゃないことで満たされるものがありますよね。子どもとの会話も、「で、結論は?」みたいなやりとりになってしまうでしょう。(汗)
毎日が人生そのものだから
時短して得られた時間で何をするかというと、
やりたいことをやるわけなのです。
ですから「時短」自体を優先にしてしまうと、日々のささいな喜びや楽しみや充実感がすり減ってくる気がするのです。
そして長く続かない。
日々の生活が人生そのものなので。
削りたくないことがあるはずで、それを削ってしまうと、残るのは
TODOを最短でこなすための日々だけになってしまいます。
「時間がかかるけどやりたいこと」は、やっていてもよいのではないでしょうか。
みじん切りが好きなら、ぶんぶんチョッパーを使わなくても良いし、
好きなら手書きでもよいし、会うのが好きなら対面でもよいし。
他にもっとやりたいことがあるなら時短してもよいですね。
でも、やみくもに時短するよりも、自分にとって、これは簡略化したいなと思うことから「時短」をはじめてもよいのかなと改めて思ったのです。
みなさんにとって、「時短」したくないような譲れないものはなんですか。
【日記】
外出したい長女&私。家にいたい次女。起きてくれず、着替えてくれません。
午前中の外出を諦めて、次女の粘り勝ちです。午後も押し切られ結局おうちDAY。
今日も次女と料理をしました。料理の仕方、食べ方など、じっくり向き合うと嬉しそう。
夕方からは恒例の姉妹の戦いごっこ。かなり盛り上がります。ストレス発散できると言っていました(笑)
【something new】
寝具改造